韓国キリスト教が鞭打たれる理由 (2部)  2009. 5


    父よ! あなたは、主のしもべだと言いながら、肉であなたに仕える偽りの者たちに御怒りがあることを、万民が全て知るようにしてください。(参考:肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。(ガラテヤ 5:19-21)) 父の怨讐は、この世だと言われました。その、この世と言う構成要素は、三つの欲、即ち、暮らし向きの自慢、肉の欲、目の欲によって成り立っており、この三つの欲は肉体を掌握して支配し操縦するサタンです。従って三つの欲はサタンの形であり、その三つの欲を肉と言います。それであなたは人間と共にできない訣別事由を、肉であるからだと言われましたが、子どもたちはあなたの怨讐と共に同居し、姦淫し、対となって一時も離れた事がありませんでした。そうしながらあなたを愛すると、毎日毎日ひざを屈めて祈りますが、そうした者たちにあなたは目を閉じられ沈黙されておられます。それは、自分自身を、聖潔と聖さをもってあなたと和平することをせず、あなたの怨讐であるこの世と組んだ者たちだからです。

    主のしもべたちが、神を離れ、この世の三欲に簡単に心を奪われて自分を投げ出すのは、水と聖霊によって生まれ変わった時の、初めの愛が色あせてぼんやりしてしまった為です。あなたの怨讐であるこの世の三欲に十分に打ち勝ち、はねつけて出て来ることができるのは、ただあなたの初めの愛に酔うことしかありません。その三欲の誘惑がいくら強く見えても、その初めの愛の前には、力なく水に流される砂の城にも及ばないのに、何故あんなにも空しく容易にあなたの愛を投げ捨て、世俗の懐に抱かれることができるのでしょうか。 父よ! 初めの愛を忘れてしまったのは、あなたに対する背信であり、背教行為であります。

    従って主のしもべは、初めの愛の誓いを心霊の奥深くにしまい、世俗の多くの誘惑や困難の中でも貞節を守らなければなりません。あなたとの関係にあって、初めの愛を大切に保存することは、父の愛に対する相互の確証であるゆえ、あなたはこの初めの愛をいつも私に確認に確認をされ、また、それによって喜びに喜ばれました。ご覧下さい。今も下さった初めの愛をそのまま崩れることなく大切に保存しています。

    あなたに出会ったその日、孤児のように捨てられていたこのしもべは、愛するわたしの息子よ!という一言の御言葉の中で、ひと目で父であられることがわかりました。あなたはあらゆる慰めと愛によって多くの傷をなでてくださり、このしもべはただ、‘許してください。二度とあなたのそばを離れません’ と、悔い改めに悔い改め、泣きに泣きました。
   あなたは私が仕えるべき主人であり、完全であられることを知りました。今もあなたがいることだけが本当に幸せなのです。この愛を誰が奪うことができましょう。如何なる逆境や困難の中にあっても私の全ての慰めであり、望みであられる主よ! 多くの人生の苦痛や痛みの中でも、明るい希望の道を開いて見せて慰めてくださり、このしもべを包み抱いてくださって、一瞬にして人生の絶望と苦痛を、喜びと楽しみによって慰めてくださいました。こうして私たちの主と共にいる事が、すべての人の子たちが追求する幸福ではないのですか。

    しかし全ての人の子たちはあなたとの愛を離れ、みな自分の思いのまま空しい別の所で幸福を追求しています。このしもべがはっきりと確実に証しするのは、人の子たちが追求する幸福は、ただあなたと一つになることができる愛の中にあり、その愛は聖霊によってのみ完成されると言うことです。愛は全ての人の子たちが追求する完全な幸福の終着駅であり、またこの地に、神の国が私たちの心霊に現れた天国、神の国です。その愛が私たちの心霊に常に滝のように降り注いで来るため、この世の悪や罪が、押し切って私たちをみだりに害することができずに、遠くで待って機会を見て戻って行きます。

    この初めの愛を失ってしまった為、二千年間神のしもべたちが、世俗の槍や刀に心霊が貫かれて死に、この世の捕虜として生きています。初めの愛を失ったことが、こうしてあなたとの関係において全ての問題の発端でありました。ダビデ王がいつもこの初めの愛に酔っていたゆえ、あなたの愛を受けたように、このしもべの勝利も、ただ主の恵みである初めの愛を維持したゆえ勝利したに過ぎず、何の功労もありません。

    もしあなたとの関係でその愛が排除されたなら、このしもべもやはり彼らと何の違いがありましょうか。いちじくの葉で恥部だけを隠す、うわべ主義者たちのように、使命と言っても義務でしかありません。そこには生命力がなく、惰性に染みついた形式と、要式行為の乾きねじれた無様な行為があるだけです。全てが面倒になり、言い掛りと不平不満によって、浅はかで醜く変化し、この世をむさぼるだけです。故に主のしもべたちは毎日毎日の生の中で、ただ主の御言葉と愛の戒めに命をかけて、三欲である肉と戦い、初めの愛を守り通し、保存しようと命を尽くさなければならないのです。

    父よ! 韓国の牧会者たちが愛におることができず、肉に変わり、この世の人のように生きることは、もはや死んだのだと言うことを悟るようにしてください。それは、肉をもっては永遠にあなたに会うことはできず、肉を捨ててはじめてあなたとの愛が回復するからです。また、あなたの霊であられる聖霊は、心が清潔な者以外は決して見ても見ることができず、聞いても聞くことができません。

    神は、憐れみのある者には、主の憐れみを現わされ、完全な者には主の完全さを見せられ、肉の属性を排除できないよこしまな者においては、主の声は常によこしまと主の逆らうのを見せられます。それでにせ預言者が輩出されるのです。

    三欲は悪魔の形です。特に、‘霊的、霊的’ と言うしもべたちが、肉の要素の本質である三欲を捨てることができないのは偶像崇拝です。その偶像崇拝によって、父の御心を自分勝手に理解し、にじみ出てくる自分の欲で行なっていました。その結果、福音が変質し、誤謬と歪曲は深刻です。これは全て初めの愛を捨てた結果であり、その愛を維持できず簡単に捨ててしまった理由は、良心の器が間違っていた為です。

    主のしもべと民たちは全て、良心によって神に会わなければなりません。その良心は常に肉の偽りを排泄し、その出入りを遮断し、危険を警告するものなのに、その良心の構造が間違い、全て肉である自分の有益の方にのみ手なずけられて壊れ、裂け、曲がってしまっています。私たちの良心は主が座られる至聖所であり、聖殿であって、神の愛を維持し保管する愛の器です。良心の器が壊れれば、その愛は持続することができません。従って良心の器が壊れ、裂け、曲がり、間違っていた為に当然、何日も、または何ヶ月ももたず聖霊の火は消えてしまい消滅してしまうのです。

    闇は、主のしもべたちが良心を照らすことができなかったためです。良心の光はほかでもなく愛  (寛容であり、愛は親切、人をねたまず、愛は自慢せず、高慢にならず、礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばず、真理を喜び、すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます) (1コリント13:4-7) であり、これが世の光でありました。主のしもべたちは、このように、この世の肉の闇を愛の光で黙々と守ることで光を照らすのです。

    その光がある時のみ、父であるあなたを受け入れ、和解し、交わることができるよう道を明るく照らすともしびです。この火が消えればあなたは決して訪ねて来られないのに、まことにもどかしい次第です。どれほどあなたが息が詰まり、このように無知で足りなく愚かで盲目だったこのしもべを探されたのでしょう。この世の誰も、あなたが目を覚まして下さらなければ起きる者は誰もいません。彼らにも、このしもべに下さった恵みを下さり、どうか彼らが深い眠りから覚めるようにして下さい。

    遠くで聞くところによると、韓国キリスト教が父の前に悔い改めはしなければならないが、何をどのようにしたらいいのか総体的な悔い改めが見つからず、右往左往しています。韓国キリスト教はまるで、寿命の尽きた自動車のようで、一、二箇所直したと言って済むものではないことを、彼らはわかっていません。

    七年間、数十編のメッセージごとに、何が間違っていたのか、どうしなければならないのかをすでに全て記し、また、‘良心’ 編のメッセージで詳しく伝えました。この民族にこれ以上何を伝えたら良いでしょう。子どもたちにおいて怖いのは、放縦と罪悪を塞ぐ見張り人です。しかしどうしたことか、彼らは神の怖さを全くわからない民たちです。

    父よ! 願わくは、彼らが新しい心霊なる水と聖霊によって生まれ変わったその瞬間の、初めの愛の良心に戻してください。聖霊の火を消滅させてしまったことに対して真に真に痛悔し、悔い改めるようにして下さい。初めの愛に、ただ初めの愛の回復によって戻るようにして下さい。初めの愛に回複できない悔い改めが、何の役に立ちましょうか。そしてその罪がどれほど大きく重いかを悟るようにして下さい。

    聖霊の火種は私のものではなく、その火種はあなたのものです。人類が食べるものです。人類の命でありました。その火種一つ一つが集まって、人類に伝える人類が食べる善の糧であり、それは悪を塞ぎ、善を行うようにするエネルギーでした。しかし聖霊の火を消してしまったことによって、今の全人類の悪の猛烈な勢いを防ぐ事ができず、また、未来の悪を防備することができなくしてしまいました。それが韓国キリスト教牧会者たちが、人類の責任を負わなければならない理由であり、人類はその賠償を韓国牧会者たちに求めるでありましょう。その荷を果たすことがひどく重たくて、どうやってその苦難の荷を彼らが全て負うのかわかりません。

    父よ! どうか彼らがこれ以上遅れる前に悔い改めるようにして下さい。悔い改める民は滅びることはありません。人間たちに悔い改めがあるのは、艱難の逃避場であり、唯一無二の非常脱出口です。だからキリスト者たちには決して絶望はなく、常に生きる道を開けておかれるのです。

    主に向かって呼び求める者に顔をそむけない、私の主よ! 人生が闇ときびしさの中にあっても、豊かなのは、誰にでも公正で、公平に、公義なる、悔い改めの非常口が常に開かれているからです。真に主に会おうとさえするなら、いつでも会うことができます。それは全て自分の選択と決定にかかっています。これが神の愛です。

    それ故、この民族をユダヤ民族のように頑なにしないで下さい。私たちを、あまり長い間顔を背け放って置かないで下さい。しもべたちの各々の心霊は、私たちの主イエス・キリストを迎え、共に住み、共に楽しむ家、つまり聖殿であります。しかし今からは、聖霊の火を消滅させた者たちを探し審判される、審判の時です。聖霊を消滅させたり、聖霊に背き、冒涜、謗ったその罪は、その代価が厳格であることを知ってこそ、再びそうしたことがないよう警戒することでしょう。その御怒りの審判が終われば、私たちを新しく変わらせてください。

    真に真に悔い改めるしもべたちは、その悔い改めによって頑なさを溶かして下さい。全てのしもべたちが悔い改めによって勝利するようにして下さい。悔い改めと御怒りと練達が終われば、純金のように新しく変えてくださり、韓国キリスト教を岩の上に再び立てて下さい。韓国で消え行く聖霊の火を再び入れて、人類に向かって再び出発し、人類を救うようにして下さい。

    ハレルヤ! ハレルヤ!草はしおれ、花は散る。しかし主のことばは、とこしえに変わることがない

    世々限りなく主に栄光あれ。アーメン アーメン

( 2009. 5 )

  

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